新年会の成功談

軍隊一個師団を持って行くとか、戦車を持って行かなければ勝てないような戦争でも、マシンガンしかなければマシンガンで、マシンガンがなければナイフで、ナイフもなければ犬のように自分の歯で噛み付いて戦うぐらいの根性がなければ、何事も為すことはできない。
仕事ができない人とは、たいがい戦う前に「ナイフ一本で勝てるはずないのだから、戦うのは馬鹿だ」と考えている人だ。 しかし私のようにナイフ一本で勝つことこそ喜びとする人間よりも、軍隊一個師団与えられないと戦わない人間の方が、圧倒的に多い。
その人たちにどのような仕事をしているのかと聞くと、たいがい「何々をさせられています」という答えが返ってくる。 どうして「何々をしています」と答えられないのか、私にはなかなか理解できない。
1984年、GSに移って間もない頃、Eという会社の株式公開を計画するにあたり、幹事証券を選びたいということで訪ねてくることになった。 Eは日本のRの子会社で、この株式公開がシリコンーバレーにある日本企業の子会社の株式公開第一号になった。
ところが、私は銀行出身だから当時まだ株については詳しくないし、加えて米国の株式発行の仕方などまったく知識がなかった。 そこでハイテクーグループに行って誰か一緒に面談してくれるよう頼んだが、もともと日本企業の子会社なんかにろくな会社はないと思われているし、他の案件で忙しいから「君が出て話を聞いておいてくれれば十分」とまったく相手にされない。
万事休すだが、お客はもう到着したとのこと。 そこで私は仕方なく、「幹事証券を選ぶということは、今後永遠に一緒にお付き合いするということです。

したがって、当社が貴社にとって永遠に取引するに値する会社かどうかまずご検討いただきたい。 それには当社の経営哲学を理解していただきたい」と経営哲学の話をとうとうとし、そして私自身がなぜ他の投資銀行の誘いを断って当社に入社したのかその経緯を話した。
これで半分くらいの時間がたつと、それではお宅はどんな会社なのかと質問をし続けた。 Eの社長はノブ8田さんといい、財務担当重役はロンーグワイアーと言った。
8田さんもロンもどうやら気に入ってくれたらしく、この大事な初対面をどうにか乗り切ることができた。 実務を知らなければ、自分が知っている経営哲学で。
これがナイフしかなければナイフで戦うという意味である。 ところで、経営哲学というのは極めて大事である。
R・Mの経営哲学については、すでに紹介したが、この経営哲学こそ当社がビジネスを獲得する最も重要な武器となっている。 ある日当社のBとJと私が、今後の経営の拡大に関して議論していた。
その時、経営哲学を少し曲げても収益機会を捉えるべきかどうかという議論になった。 当社の中で恐らく一番お金持ちになりたいという意欲を持っているJがこのように言った。
「僕にはエゴもあるし、金持ちになりたいという欲もある。 僕のエゴとは、我々実績作りの経営哲学を貫いた上で、結果大金持ちになることではじめて満たされるもので、経営哲学を曲げて金持ちになってもまったく満たされない。
だいたい我々の今日までの成功は小さいながらもこの経営哲学に従って仕事をしてきたから生まれたもので、経営哲学を捨てるということは自殺に等しい。 韓国の仕事で言えば、GSもMーRもみんなSSやLGで商売を獲得するのに必死だ。

彼らは1000ドルのスーツを着たMBA(経営学修士号を持った人々)を10人連れてプレゼンテーションに来る。 それに対して僕が一人で行ってどうして無競争で仕事を貰ってこれるのか。
これはここ6年間、当社の経営哲学を宣教師のように語り続けてきたからだ。 我々が大手投資銀行のように、長期的な関係づくりより目先の取引を起こすことに重きを置き、単にお金儲けに走って同じことをするならば、勝ち目はない。
我々は戦い方が違う。 だから勝てる。
我々にとっての最高の武器は我々の経営哲学だ」というのがJの弁であった。 勝てそうにない戦いに勝ってきた理由を振り返ると、いつも同じ答えに行き着く。
自分の会社、または自分の仕事に対する哲学に従って行動したからだ。 そして負けたとき。
それは往々にして奢っていたり、邪心をもったり、慢心していたりと、恥ずかしい自分たちであったときだ。 どんな取引でも必ず修羅場が来る。
修羅場を2回、3回越えてやっと取引を成就させることができる。 修羅場で踏ん張りが利くのは、自分の信念を持っているかどうかである。
そして、そういう場面で発言したことは、関係した人々の心に刻まれて長く残る。 その記憶が好ましいものであれば、やがてその投資銀行家の信用が市場の中に築かれて行く。

自分たちの哲学に自信がなければ、そしてその哲学とともに生きなければ、そのような信用は築けない。 金融業の根幹は「信用」であり、一朝一タではこの信用というやっかいなものは築けない。
信用がなければ新しい商品を作り、仕事をとり、市場に出すことなどできない。 一本目ができなければ、その商品の「市場」を作ることなどおぼつかない。
市場を作っても奢ってしまえば、「盛者必衰」の原則が必ず働いてくる。 これが、金融市場の市場原理である。
ここ10年、アメリカでもイギリスでも日本でも多くの銀行の名前が消えた。 3マンモスでの日々独立への目覚めGSには7年お世話になったが、きっぱなし。
どこかへ休暇に行っても電話に張りつき、その生活は朝から晩までまさに働私も家族もひと時も休まることがない。 通常の生活では週の半分を東海岸と西海岸でそれぞれ過ごしたが、ニューヨークからロスアンジェルス日帰りなどというのもざらにあった。
東京で言えば、ベトナムのハノイに日帰りで出張するようなもので、気違い沙汰のスケジュールだ。 ニューヨークからハワイへ、続いてロンドン、フランクフルト、大阪と回ってやっとニューヨークに戻って来るというムチャクチヤな日程もこなしていた。
確かに愉しい面もたくさんあった。 しかし、多くの投資銀行家が40歳までにだいたい燃え尽きてしまうように、私もやがて燃え尽きるのは目に見えていた。
だいたい「こんなに働いているのは一体誰のためなのだろう」と疑問を持つようになった。 いい給料は貰っていたが、私が関わっている日本関係の案件から上がる収益の額から比べたら微々たるものだった。
「燃え尽き症候群」になってしまわないうちに、すなわち40歳になるまでには自分のために働く体制に移らなければならないという思いは日増しに大きくなっていった。 マンハッタンの49丁目にある、とある寿司屋の二階、畳の個室。
それが我々の作戦会議の場所だった。 メンバーは私と当時GSの後輩で、企業金融部でアジアを担当していたKーE、そしてKが育ったニューヨーク州、プーキプシーの小学校からブラウン大学、ウォートンースクール(ペンシルバニア大学の経営大学院)まで一緒だったKの大親友のEーマークスの3人がその作戦会議のメンバーだった。

Eは28歳でニューヨークの投資銀行Rーフレールの不動産投資会社Rーリアルティーの上級副社長になった俊英だ。

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